2025年11月のセントラル・スクール・オブ・バレエの日本オーディション2日めに、先輩トークコーナーのゲストとして 川上小春さん(Koharu Kawakami)がいらして下さいました。
毎年、セントラルのオーディションでは1日目が学校長によるQ&A 2日目に卒業生ゲストによる先輩トークを実施しています。
そこでの川上さんのお話をまとめたものをご紹介します。
川上さんのCSB在籍期間(2019年9月から2021年7月)はコロナの真っ最中でもあり、
現在のセントラルとは少しシステムが違っている部分もありますが
彼女の過ごしたロンドン留学生活とその後の活動についてのお話です。

初めてのロンドン。包丁の持ち方も知らなかった私の一人暮らし
イギリスに渡ってすぐ、一人暮らしが始まりました。
学生寮は学校の目の前にあるのですが、面倒を見てくれる寮母さんがいるわけではなく、
本当に自分で生活を組み立てるところからのスタートでした。
正直、日本にいる頃は料理はほとんどしたことがなくて、
野菜の切り方すらよく分からない状態。
スーパーに行っても、日本とは全然違う食材ばかりで、
「これどうやって使うんだろう…?」という毎日だったのを覚えています。
普段はメンタルが強い方だと思っていたのに、
最初の頃はホームシックにもなって、とても苦労しました。
でも、幸いなことに日本人の友達が多い学年だったので、
周りのみんなに助けてもらいながら、だんだん慣れていきました。
英語は、本当に笑っちゃうくらい通じなかったです。
(注:IELTS B1は取得済みです!!)
踊る機会にあふれた学校生活。日本ではできない経験ばかり
セントラルは、発表の機会が本当に多い学校でした。
学期末ごとの発表や学年末には学校公演があって、
特に学年末の学校公演にはしっかり外部の振付家の方が来られて、
パートナリングやコンテンポラリーなど、
日本ではなかなか触れられない内容を経験しました。
1年目はバーが両手で基礎中心。
でも2年生になると、一気にテクニックのレベルも上がり、
レッスン前にはとてもきつい筋トレの時間もあって、
セラバンドをずっと伸ばし続けるような
「これ本当にできるのかな…?」というレッスンもありました。
でも、そのおかげで体幹が本当に強くなっていきました。
今船の上で踊っていても全くブレない体幹を鍛えられたのはこのおかげだと思っています。
ロンドンならではの“本物の人から学ぶ”機会
セントラルでは、作品ごとに
振付家本人や、その作品を実際に踊っているダンサーが直接学校に来てくれます。
1年生の学年末公演では、初めて外部の振付家の方に指導していただき、
日本では体験できない内容を深く学ぶことができました。
2年生には D4D(大学間コラボ) があり、
デザイン学校の学生たちが私たちの作品の衣装を作ってくれるなど、
同世代どうしの本格的なコラボレーションも経験しました。
3年生になると、よりプロの現場に近づきます。
コロナの規制が緩んだタイミングで、
ニューアドベンチャーズ(Matthew Bourne) の方が来られ、
コンテ×ネオクラのような作品を指導していただきました。
最終的にコロナ時期だったので公演としては上演できませんでしたが、
劇場を借りてビデオ作品として撮影し発表しました。

卒論は、自分が選んだソロ作品に合わせて、
踊る前に、まず作品の研究から入ります。
エッセイ(論文)を何千語も書くんです。
その論文を提出して通過したら、振りを覚え始めます。
例えば、シンデレラを選んだとすると マリアネラニュネスやサラ・ラム等の
ロイヤル・バレエのプリンシパルのダンサー も来て指導して下さったり
コンテンポラリーの作品だったら、ランベール(Rambert Company)や
マシューボーンのアーティスト が来てくださって
マンツーマンで作品ごとに振付や動きを指導してくださったのも貴重な経験です。
(コロナの期間中ならではの贅沢な経験でしたね)
さらに、私と同じ振付家(マッツ・エック)の作品を選んだ学生が3人いて、
その振付家から直接指導されたまとめて コーチング のような深いレッスンを何度も受けました。
なぜマッツ・エックを選んだかというと
どちらかというとコンテが好きだな と思っていたところに
マッツ・エックのどの作品を見ても本当に好みにピッタリ合っていていつか踊りたいと願っていたので
その中でも一番大好きな作品を踊りました。
マシュー・ボーンカンパニーの ケイト・ライオン(Kate Lyons)さんや
当時のバレエセントラル芸術監督だった、クリストファー・マーニー(Christopher Marney)から指導を受けました。
カルロス・アコスタからも指導を受けたこともあります。
(注:現在は、また別の指導者陣からの指導になっています)
そんな作品を研究した卒業制作の作品は卒業公演の際に発表をします。
セントラルではこうして、
世界のダンスシーンの本物と繋がれる環境 が当たり前のようにあり、
すべてが私にとって貴重な経験でした。

コロナ禍でのリハーサル。四角い枠の中で踊った日々
2年生の途中からコロナでロックダウンになり、
スタジオには四角いテープが貼られ、
その枠の中だけでセンターも作品づくりも行うという日々が続きました。
ほかの大学とのコラボ作品も中止になった部分はありますが、
「この状況でどう作るか」を経験できたのは、今思えば特別なことでした。
ツアーで学んだ“どんな環境でも踊れる力”
3年生では、例年より遅れながらも
学期末公演のリハーサルが始まりました。
そこからは怒涛で、卒業公演に向けた準備もすぐに始まります。
私の学年では、古典作品『海賊』とコンテンポラリー作品の二本立て。
人によっては複数の役を踊るので
準備期間も毎日がオーディションのような緊張感でした。
その後始まったツアーでは、
イギリス各地の劇場を回って踊りました。
その時のブログ記事はこちらから Ballet Central is BACK!!! (バレエ・セントラル公演レポート)
10時間かけてバスで移動した後、2時間後に本番です!と言われても
ベストな状態で本番を迎えられる調整力はあると思います。
どんな環境でも自分をベストに整える力 が自然と身についていきました。
バレエ・セントラルのツアーでの経験が今の仕事でも、本当に役に立っています。
200件近いビデオを送り続けた日々
3年生の時はやはりコロナということもあって
オーディション用の映像を撮っては編集し、
200社近いカンパニーにビデオを送り続けていた 時期もあります。
それでも、止まらずに送り続けました。
何度も心が折れそうになっても、
“続ける”ことだけはやめませんでした。
友人たちが決まっていく中、なかなか決まらずに本当につらい思いをしましたね。
卒業の時にはみんなどこかのカンパニーや研修生に決まっていたんですが
7年経った今は、いろいろです。同級生10人中まだ踊っているのは3人くらいかな?
もちろんメインカンパニーでずっと踊っている人も
バレエをいったん置いて、普通の社会人になっている人もいたりします。
強い意思があったとしても、ダンサーを続けていくのって厳しいですが
私はあきらめずに踊りたい気持ちを追い続けています。
卒業後も続いた挑戦。
セントラルを卒業後、すぐに最初のカナダのカンパニーに入りましたが、
やっぱり自分が好きなのはクラシックバレエじゃなくてコンテだなと思って
バレエ団に所属しながらオーディションを受けたりビデオを送ったりと
その後もずっとチャンスを探していました。
カンパニーではなく、作品ごとのオファーをもらえることもあったので
その作品に参加して、終わったら次を探す、という形です。
卒業VISAがあったのでイギリスに戻ってアルバイトをしながら、
毎日オーディションが行われているスタジオに通っては
ディズニーから舞台やクルーズ船まで様々なオーディションを受けました。
サマースクール参加中の生徒たちにも会ってくださったときの記事はこちらから
ただ、合格を頂けても、VISAの枠でアジア人が厳しい ということで
その話が無しになってしまうこともあり、悔しい思いもしました。
そのうち2年間の卒業VISAが切れたのでいったん日本に戻ってきて
色々なステージに立ちつつまたオーディションを受けていました。
その積み重ねが、最終的に私を次のステージに連れて行ってくれました。
今は飛鳥Ⅲというクルーズ船の専属ダンサーに選ばれて、そこの仕事をしています。
(体幹のおかげでどんなに揺れても大丈夫!)



言葉の壁は、恥ずかしさより“わからない”と言える勇気で越えていく
日常会話は、1年生のうちにだいたい何とかなります。
たぶん今、「英語できないと無理なんじゃ…」って思ってる子もいると思うけど、
B1を取ってから行くので、そこはそんなに心配しなくて大丈夫です。
ただ、作品づくりになると話は別で、
急に難しい英単語がいっぱい出てきます。
正直、私も最初は「今の、全然分からないな…」って思うことばかりでした。
でも、そういうときは無理に分かったふりをしないで、
「ごめん、もう少し簡単に言ってもらってもいい?」
って、そのまま聞いていました。
最初はちょっと勇気がいります。
でもね、聞いてみると、みんな本当に優しくて、
ちゃんと分かるまで説明してくれるし、
別の言い方で何度も言い直してくれます。
だから、分からないことは分からないって言っていい。
それを言えたほうが、絶対に前に進めます。
そして、もう一つ大きな山がIELTSでした。
私は正直、勉強が得意なほうじゃありません。
だから、かなり苦労しましたし、何回も受けました。
(注:学生VISAを申請するため、入学前にB1 3年生進級前にB2を取得する必要があります)
周りの同級生たちが先にスコアをクリアして中で、
「私、大丈夫かな…」って焦ったこともあります。
でも、そこでやめなかったから、
ちゃんと必要な点数を取ることができました。
今思うのは、
英語もオーディションも、
「できるかどうか」より「続けるかどうか」 だということです。
だからもし今、不安になっているなら、
「それ、私も通ってきた道だよ」って伝えたいです。
今、不安を抱えているあなたへ
もし今、
「やっていけるかな」
「海外で通用するのかな」
そんなふうに不安に思っているなら、私ははっきり言いたいです。
揺れても大丈夫。弱い日があっても大丈夫。
強さは、続けた先に必ずついてきます。
私も何度も落ち込み、諦めようとしたことがあります。
でも、続けたからこそ辿り着けた場所が今あります。
あなたもきっと、未来のどこかで
「あの時やめなくてよかった」と思える日が来ます。


小春さん、ありがとうございました。
中学1年生のころの小春さんに初めて出会った時の瞳の輝きのまま、素晴らしいダンサーとしてまた社会人として歩んでいかれていることにウェルズも感動しきり。
写真は、上がフィリップ・フィーニー音楽監督との再会
下はまだ中学生のころに元ロイヤル・バレエ・スクール校長、ダイアン・ヴァン・スクーア先生の講習会に参加された時の懐かしいショット。
たくさんのそんな先輩たちがしてきた経験は 何物にも代えがたいなといつも感じます。
先日舞台を拝見しに行ったときにお目にかかった小春さんのお母さまも、「小春が好きな道なら私たちはずっと応援し続けます、踊っている娘を見るのが本当に幸せなんです。」 とおっしゃっていました。
また、今回のオーディションでも、そのチャンスを手にした方々、そうではなかった方々。
きっと諦めなかったら道はどこかにあるんだろうな と小春さんのお話が応援になれば嬉しいです。


