<作品の制作75周年を祝う>
英国バレエの父と呼ばれるフレデリック・アシュトンが1948年に初演して75年。
ロイヤル・バレエ団の人気演目のひとつである「シンデレラ」が、華々しくリニューアルされたという話題を聞きつけ、早速、観に行ってきました。
イギリスでは、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団がディビッド・ビントレー振付の、そしてイングリッシュ・ナショナル・バレエ団がクリストファー・ウィールドン振付の、それぞれ異なるシンデレラをレパートリーにしています。
それぞれモダンな演出なので、英国スタイルのバレエスタイルを確立したアシュトン(アンソニー・ダウエルの改訂版)の楽しいステップやエレガントな上半身、ゴージャスなワルツや宮廷の衣装、姉妹の楽しいパントマイムなどを、どんな風に改訂したのか、本当に楽しみにしていました。(最後に観たのは2010年11月!なんと13年も前の話になっていました。。)
<華やかなプリンシパルの競演>
今回は、サラ・ラムとスティーブン・マックレー、そしてフランチェスカ・ヘイワードとアレクサンダー・キャンベルという二組のプリンシパルを観る機会に恵まれました。元々コロナ禍ではストリーミングでしか観ることのできなかったロイヤル・バレエ団のコヴェントガーデンでの舞台。更には怪我の続いたスティーブンの舞台は、本当に久々でしたが、相変わらず華やかなオーラで輝いていました。そしてサラがかぼちゃの馬車に乗ってお城へ向かうシーンでは、もう客席全体が美しさに酔うため息に溢れました。
フランチェスカ達の回は、少し遠い席からでしたが、それでもアレックスが上手にフランチェスカをサポートする盤石なパ・ド・ドゥを楽しみました。
シンデレラのソロはレスリー・コリアのコーチングでしょうか。とても可愛らしいですね。
<映像による視覚効果を駆使した舞台セット>
さて、改訂版について少し詳しく書いておきます。最後に観たのが10年以上前なので、記憶も怪しいものですが、、、。
幕開前のプロローグ(前奏)では、ミラーボールのような光のシャワーが客席に降り注ぎます。まるでフェアリーゴッドマザーが観客にも魔法をかけてくれているようです。(シンデレラになりたい!)
舞台には昨今の舞台芸術では一般的になった時計や花火など多くのプロジェクションや映像による視覚効果が使われていましたが、例えばウィールドンの「不思議の国のアリス」のように多用されているのではなく、舞台上のリアルなセットと上手くミックスしていて、舞台に動きを感じさせていたのが印象的でした。物語と関係ないプロジェクション(星座の模様など)は、舞台転換時に使われて世界観を保ちます。素敵ですよね。
ただ、こういった舞台技術がこれからどんどん主流になっていくのであれば、ロイヤルの十八番ピーターライト版の「くるみ割り人形」も、近い内に改訂されるのでしょうか。確かに大型のセットを使うよりも費用が安く、またツアーなどの移動も楽にはなりますが、マクミラン作品にもそういった流れが波及するのであれば、個人的には少し興ざめしてしまうかもしれません。振り返れば、個人的にマクミランの後継者!と期待していた故リアム・スカーレットの作品では、バックドロップに少し工夫があったくらいでプロジェクションはなかったな。最後の作品になった「白鳥の湖」は、舞台セットが大き過ぎて踊る場所が少し狭い?と思わせるくらいゴージャスだったね、と思い出し、もう彼の新作を観ることはないのだと実感して寂しくなりました。
<アグリーでないシスターズ>
もうひとつ新しい試みとして、シスターズを女性のダンサーが踊るというものがありました。幸い、今回は男性と女性、両方の回を見ることができました。
うーん、正直、これにはあまり賛成できませんでした(ゴメンナサイ💦)。
ロンドンの批評家の方々がどんな風に評するのか興味がありますが、シスターズは元々、アシュトン自身がパントマイムをしてお客さんを喜ばせるという趣向でしたので、これまでは男性が踊ってきた役です。シンデレラに意地悪をしながら、姉妹も仲が悪く、踊りも下手なのに若い男性には目がないという、おかしな役で、ピラピラの悪趣味なドレスの下から覗く、太い男性の足や、白塗りの化粧、ひねり上がった付け鼻、キャンピーなマイムが爆笑を誘うように振り付けられているものです。つまりは立っているだけでも笑ってしまうので、シンデレラへの意地悪も、見ていて嫌味を感じさせないのです。お客の誰もが「あなたたちの方が滑稽よ!」となるわけです。
カラボスやアリスの肉屋を演らせたら右に出るもののいない名役者のマクナリーとアレスティスが演じていましたが、彼らをもってしても、女性がそういうマイムをすると、なんだかリアルすぎて、爆笑というより苦笑してしまう、いがみあう性格をもった姉妹が気の毒に感じてしまいます。せっかくアシュトンが作った愛おしいキャラクターが、急にリアルな普通の女性になってしまった感じです。もう一組のベネット・ガートサイドとジェームス・ヘイの凸凹コンビでは、ベンの筋肉質の肩がドレスから覗いているだけでおかしいし、ジェームスがつい見せる普通の男性っぽさがそれが故意であっても、笑いを誘います。
これは以前、制作過程で耳にした話ですが、今回の改訂版では、現代の多様性を認め合おうという社会性を反映して、継姉妹=意地悪がステレオタイプにならないように、シスターズからは「アグリー(醜い)」という形容詞が消され、シンデレラには目立った意地悪をしない。
そのため、もはや、どうしてシンデレラが舞踏会に行かれないのか、舞台を観ただけでは分からなくなってしまいました。
そうは言っても、お城の舞踏会では背が低くて、カツラを被った男性は、相手にしたくないキャラクターとして登場します。しまいにはカツラが取れて大笑い、という場面も。この矛盾はどう理解したらよいのかかなり悩みます。
<衣装も一新>
ダンサーのまとう衣装も一新されました。
新しい衣装はカラフルでとても美しく、ソフィスティケートされた感じ。
四季の妖精たちには、それぞれ二人ずつのお小姓(違う違う)、子役の妖精ちゃんも付いてきて、花を添えます。12人の時計の精も可愛らしい小さめのチュチュで、フィナーレでは星形ではなく、LEDライト付きのウォンドを持って踊ります◎
宮廷衣装やカツラはなくなってしまったけれど、素敵なワルツの衣装はエレガントで素敵。好みとしては、もう少し、あと3センチ、スカートの裾が短い方が、ステップがきれいに見えるんじゃないかなあ。
よく分からなかったのは1幕で物乞いにくる老婆(実はフェアリーゴッドマザー)の背中についていたモジャモジャ。なになに?白雪姫のおばあさん(実は魔女)みたいじゃない。もう少し存在感のない、普通の汚いおばあさんで、シスターズが嫌がるような雰囲気を出したらいいのにって、すごい勝手な妄想ですけどね。
アシュトンのバレエ「シンデレラ」は、プロコフィエフの美しく、夢のような音楽で紡がれた、大人も子どもも楽しめる舞台。お客さんがたくさん劇場に足を運んでくれるように、頭をひねって作り上げた作品です。多少古臭いところがあっても、原作の良さを失わず、伝統を引き継いでいって欲しいと思うのは、もしかしたら50才以上限定かもしれないですね。
<余談>
今回の改訂版について、アシュトン時代のダンサーから、現在の指導者まで、色々な方とお話する機会がありました。現代の多様性やジェンダーレスについては、異口同音に認めながら、それがバレエという舞台芸術にどこまで影響を及ぼすべきなのか、また未来のバレエの形がどのようになっていくのかという話は尽きませんでした。バレエ学校でもそのうち女子がトゥール・アン・レールを飛び、男子学生がトゥシューズを履きたいという日が来てもおかしくないとは、ある方の意見。驚きつつも何だか納得してしまいました。バレエを教えるにも、教師に身体を触られることを拒む学生もいるとか。
リアム・スカーレットが亡くなって以来、「芸術・芸術家とは?」と考える事が多くなりました。
そして振り返ればいつも、社会や歴史に翻弄されてきた芸術家たちがいたことにも改めて考えを巡らせています。
芸術家は社会に迎合すべきか、真の芸術とは、果たしてそれが、セクハラやパワハラといった一線を越えて許されるべきか否か。この話はまたいつか。