鬼がいた。祭りがあった。
舞台上には土が四角く敷き詰められていた。
コンテンポラリー・ダンスで時折見かけるピナ・バウシュ方式の柔らかい盛り土ではなく、相撲の土俵のように堅く打ち固めてある。
奥三河に700年以上伝わる「花祭」という神楽が行われる「舞庭」の再現だそうだ。
いわゆる古民家の「土間」だ。
新作を観る時のいつものワクワク感を楽しみながら照明が落ちるのを待つ。
薄暗い舞庭の真ん中に「赤鬼」がいた。
ゆっくりと、ゆっくりと赤い身体を動かし、気を放つ。
ヲノサトルの音楽は、空気を切り裂く鬼の鼓動も伝える。
人の心に宿る「鬼」。
私も憑りつかれないよう、身を固くして見守る。
人の無病息災、村の五穀豊穣を願う神事では、いつも祓い清められ退散する「鬼」。
「赤鬼」の気配の残る舞庭には、まるでお能を観ているようにゆっくりと灯火を手にした舞人たちが登場した。
「土」「火」「風」。
五感に日本の山奥深い村里を感じさせる。
舞人たちの舞は、激しい舞の向こう側に、時折見え隠れするたおやかな女人舞もあって、いくつかの花祭の舞が融合されているようだった。
山奥に舞が木霊(こだま)する。
夜通し続けられるというこの舞によって、無事「舞庭」が清められたと思ったら、
暗転と同時にもう一体、
「青鬼」が現れた。
しつこいやつめ。
この鬼も、非常にゆっくりした所作で、やや大きく青い身体を動かしながら、人を惑わす。
この後半は四方に燈明が立てられ、さらに花祭の舞庭の様子が際立つ舞台で、男性だけの舞(ひとり女性がいたようだけれど、他に全く引けを取らずあっぱれ!)やさらに激しい舞が繰り広げられた。
14人の舞人がひとつとなる群舞も見応えがあり、万力を合わせた強さには「青鬼」の気配も吹き飛んだ。
最後は勧請した八百万の神にお帰りいただいて幕。
いやあ、楽しい祭りだった。
フェスティバルや夏祭の後の寂寥感などとは無縁の充足感だった。
新しい年へ繋がる祭りだった。
重心を常に下に保ち、地面に近いところで舞う。
山田さんが表すところの「春の祭典」よりさらに深化した日本人のDNA、定住農耕民族である日本人の持つ「土」への執着。
今後も多様な形で機会あるごとに提示して、私たちに思い出させて欲しいとは、観る方の勝手な想い。
海外のほうが評価されがちな、こういう日本の価値あるコンテンポラリー・ダンス作品を、日本を拠点に展開してもらえるのは、とても嬉しいし、貴重なことだと思う。
舞人は氏名だけの紹介だったので、何度か見ている方以外は、顔が一致せず。
でも皆さんひとりひとりが素晴らしい表現者で、次回はぜひ顔写真入りの出演者プロフィールを作成していただきたいなと思います。
(2016年10月23日レゲット)